タイトル通り。以前書いた上記の記事について、また最近思うことがあったので記しておこうと思いました。
↑の記事でだらだらと長ったらしく書いてますが、簡潔にまとめると
私は以前この記事で、「自由意志」を完全否定する意見について悩んでいて、
その理由は「引き寄せの法則」の手段的なもの(アファーメーションなど)は、この場合はどのような見解になるのか?としたことで、自由意志と宿命論との脳内議論みたいなことをしていたのですが
最近、これまた偶然にまたある意見を目にすることがありました。それが、
信仰宗教の熱心な信者の方が大熱で寝込んでいた時に、
「これは神様が休息をお与えになったということなので、感謝しながら休んだ」と言っていて、
それに対して、方法はどうあれ、この方は自由意志の放棄に成功しているというお話でした。
放棄の方法は、潜在意識でも宗教でも神様でも、別に何でも良くて、要するにここで言う「放棄」とは、自分の意志で何かをどうこうしようとしないこと。
つまり、何が言いたいのかというと、ここでの大事なポイントは、「自由意志」=「自我(エゴ)」と捉えていることです。
先ほどの話は体調の話でしたが、
それを例えば、めっちゃ不幸に直面した時に置き換えたら、
この人はきっと
「これは神様が試練をお与えになったということなので、感謝して受け入れた」
となるのではないかと思いました。
「現実に抗うこと」が「エゴ(自由意志)」だとすると、
「何故、自分はこんなに不幸なのか」「何故、神様は助けてくださらなかったのか」となりがちですが、
神様であろうが、潜在意識であろうが、要は「それは、最善の選択であった」と思うこと。
要するに「そうじゃない」と思う自分=自我(エゴ)を手放すこと。
そう考えると、前回の記事に書いた、「自由意志は少ない」「純然たる不幸に意味はない」「不幸の意味を考えてはいけない」と言っていた方の意見も腑に落ちます。
この前回の意見の方は、その上で宗教を否定してるような意見も見られたので、余計わかりづらかったけど、
なるほど。「自由意志」を「自我(エゴ)」だと捉えてみるなら話もわかる。
「自我(エゴ)の手放し」となれば、引き寄せや宇宙の法則(潜在意識関連)の話に通じるものがあります。
この「自我(エゴ)」というものは、重要だけどものすごく厄介で、特に、潜在意識関連の話を理解する上ではおさえておきたい概念なので、自我(エゴ)の話はいずれまた詳しく書こうと思います。
それにしても、この命題を考えてから、1週間ちょっとで、また新たな回答を得られるなんて、本当に面白いです。
ユング心理学でいうと、共時性(シンクロニシティ)ってやつですかね。
今回のテーマの自由意志と宿命論(占術)の関係についてですが、
自分もそうなんですけど、思うに、先天的「凶」の要素が多い人ほど、人の「運命」というものに興味を抱きやすく、そしてそれについて深く考えがちな気がします。笑
自分の占い(命式)にも出ているんですが、私は「凶」だからと言って「はい、そうですか」と黙っているタイプではなく、わりと「反骨精神」が強いように思うので、自分の中の「きっともっとみんな良くなる方法があるはず!」と思う自分が、このテーマにすごく反応したのかなと思いました。笑
それがエゴだと言われれば、そうかもしれないんですけどね。笑
例えば「正義感の強い」人には「正義感を試すような事象が現れる」と引き寄せ関連では言われますが、似たような感じです。笑
うーん。エゴって本当に厄介で難しいです。。。
潜在意識関連を研究していくと、必ずぶち当たる「自我(エゴ)」という壁。
この概念を思い出すことで、前回の問題が腑に落ちたように、この前の陰陽二元論の話ではないですが、宇宙において物事は常に表裏一体なので、「自由意志」と「宿命論」一見矛盾しているように思えるのですが、もしかしたら実は表裏一体なんだろうな、という気がしてます。
自分の知識や語彙能力が足りず、言葉でうまく説明できないのですが。泣
引き続き、色々アウトプットしながら、わかったことや気になったことをその都度まとめていきたいです。